プロフィール

スポーツライフスキルマスター


矢野和哉 (やの かずや)
元プロ野球選手
株式会社パピーズアスリート取締役
1962年12月10日生まれ
大阪府出身



少年野球時代から、ピッチャーとしての才能を見いだされ、高校時代は全国区のピッチャーとなる。社会人時代の活躍が評価され、ヤクルトに入団。引退後もスカウトとして活動し、現在は少年野球教室とスポーツ社会貢献事業に関わる。

 



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「スポーツを通じた町作りを推進します!!」


Q1:スポーツ歴を教えていただけますか?
矢野さん:小学校1年生のころ、近所で野球をはじめました。最初は右で投げていましたが、試しに左で投げてみたら、「球が速いね」と周りに言われたので、左で投げるようになりました。それから、中学・高校・社会人・プロと野球一筋で25年くらい現役生活を続けました。その後もずっと野球にかかわっています。
 
Q2:野球をはじめた当初の思いは?
矢野さん:もともと僕の野球の原点は、小学生時代にいろいろな年代の子が集まった中で、自分たちでルールを決めて行うフリープレイです。その中で、のびのびと楽しく野球をやることができました。


Q3:中学時代の野球に対する想いは?
矢野さん本格的に野球をはじめたのは、中学時代の野球部でした。このときには、リトルリーグで活躍したエリートと一緒に野球をやるようになったので、「自分は絶対に負けないんだ」という強い気持ちは常に持っていました。その甲斐もあって、どんどん伸びて行きましたね。そして、中学3年生の時に、報徳学園のセレクションを受けて合格し入学しました。
 
Q4:高校時代に感じたことは?
矢野さん:高校野球名門の報徳学園に入学し、エリート集団の中でも自分は上にいることが認識出来たので、プロを目指すようになりました。お陰さまで、1年生から試合で投げさせてもらい活躍できました。実際にひじが痛くても自分が投げないといけないような状況もありましたが、指導者や仲間に支えられて、なんとか乗り切ることが出来ました。成績は、2年生の秋と3年生の夏は県大会で準優勝しました。
 

Q5:社会人時代の思い出は? 
矢野さん:高校時代は兵庫県で名前が売れていたので、神戸製鋼から誘いが来て入社することになりました。社会人に入ると年齢が上の人たちと一緒にやるようになったことと、本当の意味で練習が厳しかったことで、最初はとまどいもありました。しかし、当時から最新の科学的なトレーニングや栄養学をとりいれた練習は、今でも記憶に残っていますし、この時期は自分にとっての財産になりました。

Q6:プロ野球界に入るきっかけは?
矢野さん:神戸製鋼時代も1年目から試合で結果を出していたのですが、一方でひじの痛みに悩まされました。最終的に手術をすることになり、1年半くらいの間、ひじのリハビリ生活を送りました。復帰してからも、ひじが痛くなるのが怖くて本気で投げれなかったのですが、入社5年目のある大会で腹をくくって本気で投げてみたら、ひじが全く痛くなくて、140キロ後半のスピードが出ました。結局その大会で、ヤクルトのスカウトの目にとまって、ヤクルトに入団することになりました。それが1985年でドラフト4位で入団しました。

Q7:ヤクルト時代の初登板の想い出は?
矢野さん:ヤクルトの初年度のキャンプを1軍でスタートし、初めてだったこともあり緊張していたのですが、なんとか開幕1軍に残ることができて、シーズンが開幕した4月にいきなり登板の機会を与えていただきました。その時は、もう心臓がドキドキして無我夢中でしたね。初登板時の観客の歓声とナイターの景色は今でも忘れられません。


Q8:ヤクルト時代に一番印象に残っている出来事は?
矢野さん:1年目のある試合での出来事ですが、その試合はなぜか全然ストライクが入らなくなって、自分でもわけがわからなくなったことがありました。その登板後にロッカールームでうなだれていたところをチームの先輩に励まされ勇気が出ました。幸いなことに次の試合でも使ってもらい、開き直って投げたらピシャリと抑えることができました。その時は、安堵感からか野球の試合で初めて泣きました。あの経験はプロ野球人生の中でも印象に残っています。



Q9:ヤクルト時代の練習内容は?
矢野さん:当時は、練習を精神的な支えにしていました。午前中にロードワークして、13時くらいから全体練習をして夜に試合をする、というようなハードな日々を過ごしていました。お陰さまで、心が強くなったと思います。

Q10:台湾でプロ生活を送った感想は?
矢野さん:ヤクルトには7年間在籍して、ワンポイントのリリーフや先発など、いろいろな経験をさせていただきました。その後は、新天地を求めて台湾に行き、プロテストに合格しました。台湾は野球をする環境が日本と比べてまだまだ発展途上でしたが、日本とは違う野球を見ることができて良かったです。最後の年は、自分のパフォーマンスが出来なくなって限界を感じ、やりきったという想いがあったので自分で納得して引退する決意をしました。



Q11:プロ野球人生で学んだことは?
矢野さん:現役時代から学んだことは、常に100%でやってしまうと続かないということです。80%の力でコンスタントに成績を残すことが重要だと気付かされました。あとは、ひじを気にしすぎで体全体のコンディショニングがシーズンオフの時にできなかったことを含めて、今思えば自分の体を認識できず、自己分析をして自分が活躍できるポジションを確立できていなかったのではないかと思います。

 
Q12:ヤクルトでのスカウト時代に心掛けていたことは?
矢野さん:引退後はヤクルト球団でスカウトの仕事をさせていただくことになりました。最初の年は、おとなしくじっくり選手を見極めました。2年目からは自分の感覚を信じて良い選手をどんどんリストアップしました。今大リーグで活躍している岩村明憲選手は自分が担当した選手です。長い野球人生から、良い選手が育つ過程がわかっていましたので、指導者を含めて選手の周りの教育環境を重視しスカウトしていました。スカウトとして、選手の将来を考え、その選手の良い部分を伸ばして育成する視点を持つことが重要だと思います。


Q13:現在の仕事をはじめたきっかけ&事業内容は?
矢野さん:プロ野球選手としての経験やスキルを活かした事業を展開したかったので、起業しました。現在は、子供の野球教室の指導にかかわりながら、スポーツを通じた社会貢献事業に取り組んでおります。
 
Q14:現在の仕事に対するモチベーションは?
矢野さん:指導している子供たちの成長を見るのが楽しみですし、仕事のモチベーションに繋がっています。野球の魅力は、完璧な答えが無いので試行錯誤出来ることですから、それを子どもたちに伝えていきたいですね。野球は複雑ですので、例えば投げる動作にしても、使う筋肉を一つ一つ鍛える必要がありますし、肘のあげる角度や足を上げる高さにしても、アスターマッスルとインナーマッスルのバランスを意識して、練習することが重要です。

Q15:今の目標は?
矢野さん:スポーツの良いところを活かし、町・行政・企業を連動させ、スポーツを通じた町作りを目指していきたいと思います。自分が培ってきたことを、新しい何かを生み出すことに繋げることが出来ればと思っています。

Q16:若者やアスリートへ応援メッセージ
矢野さん:どんなに辛いことがあっても、自分の可能性を信じて生きていただきたいと思います。自分が抱えている問題から目をそらさずに向き合って、それを解決するための前向きな活動を続けてほしいですね。

 

矢野さん、インタビューありがとうございました。

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○編集後記
取材を通して、プロ野球選手時代のお話をお伺いできて勉強になりました。現役時代のさまざまな経験をプラスに捉え、現在の活動に活かしているところは素晴らしいです。弊社も何かお役に立てればと思います。

【取材・編集/服部(株式会社 Keep up)】             2010年1月

 
 


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