Q8:アテネパラリンピックまでの道のりは?
花岡選手:2003年には所属していたチームを退職してフリーになり、東京の多摩に引っ越してアテネまでの1年間を過ごしました。東京に来たのは、アテネパラリンピックに向けて退路を断つというか、自分を追い込みたかったことが、大きな理由です。あとは、多摩は東京の中で、車いすマラソンの練習をしやすいところでしたし、競技場でも車いすでレースできる環境があったので、多摩を選びました。
Q9:アテネパラリンピック本番までの調整は?
花岡選手:代表選考のための標準記録は突破していたので、パラリンピック出場は内定していたのですが、東京に来て環境をいきなり変えたせいか、競技で結果が出ずに、タイムも落ちていました。そういう時期が半年くらい続き、9月にアテネパラリンピックが迫っていました。7月くらいまではモヤモヤしていましたが、直前の8月に北海道のレースに出てみたら、すごく良い結果が出ました。それによって、アテネに余裕を持って望むことが出来ましたね。記録については、2002年と2003年に、車いす1500メートルで日本記録を出しました。まだ、その記録は誰にも破られていません。
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Q10:アテネパラリンピックに出場した時の思い出は?
花岡選手:僕にとっては、たくさんある中の1レースの感覚でアテネパラリンピックに望みました。初出場だったからだと思いますが、パラリンピックという特別な感覚はありませんでした。結果は見事に車いすマラソンで6位入賞し、日本人トップでしたので、自分でもビックリしました。
その時に、「やることをやっていれば結果はついてくるんだな」と実感できましたし、何よりもオリンピックまでの調整が間違っていなかったことを証明できたのが嬉しかったです。
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Q11:アテネパラリンピックの後の変化はありましたか?
花岡選手:アテネから帰ってきたら、親戚が多くなったような感じでしたね(笑)。いろいろなメディアに露出が増えたので、昔の友人から連絡があったり、普段会えないような人と出会えたので、良い経験でした。
Q12:現在所属している「オーエックスエンジニアリング」との出会いは?
花岡選手:2001年にホンダアスリートチームにいた時から、オーエックスのレース用車いすに乗っていました。アテネパラリンピックの後に、フルタイムのアスリートを続けるのか、仕事をやりながらアスリートを続けるのかを悩んでいた時に、アテネでオーエックスの車いすメカニックとして来ていた社員の方に出会いました。その方にいろいろと相談したところ、オーエックスに所属させていただくことになりました。そして、2005年春からオーエックス所属選手となり、今に至ります。
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Q13:オーエックスに所属してからの環境の変化は?
花岡選手:確かに仕事をさせていただいていますので、昔のようにフルタイムのアスリートではありません。練習時間も減っていますが、その分サポートしていただいているので、集中して練習出来ていると思います。今は、結婚をして子どももいるので、もう自分のことだけを考えているわけにはいきません。家族やオーエックスの方々、レース仲間などの周りの人への感謝の気持ちを持ち続けていきたいと思います。
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Q14:普段のトレーニング内容は?
花岡選手:アテネパラリンピックの時には、トレーナーがついていましたので、ウエイトトレーニングはトレーナーに見てもらって、競技練習は自分で練習メニューを考えていました。当時の練習メニューは朝40キロ走って、夜はウエイトトレーニングをやる、というような内容でした。週に200キロは走っていましたね。現状では、車いすスポーツの指導者が少ないので、自分のことは自分でやるしかない環境です。今は昔に比べて練習量は減っていますが、オーエックスが開発したハンドサイクルを練習に取り入れたりするなど、工夫しています。食事については、普段の食事からバランスよく食べることと、足りない分はサプリメントで摂取しています。
Q15:車いすマラソンにかける思いは?
花岡選手:北京パラリンピックに落選してからもいろいろと考えましたが、常々「レースが全てじゃない」と思っています。納得のいく練習を積み重ねていくことが重要ですし、結果は後から付いてくると思います。今は協会のことなどいろいろなことをやりながら、レースを続けることが出来ています。そういう立場にいられることもそうですが、車いすマラソンに出会えたことで、自分自身が本当に成長できたと思います。
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Q16:ジュニア育成への想いは?
花岡選手:今は、高校生と中学生の車いすマラソンをやっている子と一緒に練習をやっていて、その子たちが今年9月の「アジアユースパラゲームズ」に出場します。ジュニアの年代でもそうですが、僕らの年代でも選手間の横のつながりを増やす必要性を感じています。これからは、障害者スポーツの業界全体のことも考えて競技に取り組んでいかないと、業界自体の発展に繋がらないと思います。そういう意味で、年齢的にも僕は選手をまとめていく立場なのかなと感じています。
Q17:世界の車いすスポーツの現状は?
花岡選手:アメリカでは、大学の研究の一貫として障害者スポーツ選手をサポートしていたり、ヨーロッパでは医療関係のスペシャリストが障害者スポーツの中にいます。特にヨーロッパでは、ジュニア育成に力を入れていて、実際にパラリンピックでも10代の選手がメダルを取るようになってきました。しかしそうは言っても、やはりアジアなどの国に比べれば日本の競技環境は充実しているなと感じます。
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Q18:今の目標は?
花岡選手:競技に関しては、来年2010年度には、ロンドンパラリンピックの選考があるので、それに合わせて調子をピークに持っていきたいと思います。あとは、多くの方に車いすスポーツを知っていただきたいですね。そして、障害を持つ子供たちが、車いす競技が出来るとか出来ないにかかわらず、車いす競技を通して、自分の得意なことを見つけてほしいなと思います。そうすれば、自分の能力に気付いて自分を伸ばしていけると思います。
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Q19:若者へのメッセージ
花岡選手:人間は死ぬまでに、「自分に向いていることが何か」を見つけられれば幸せなのかなと思います。僕もまだまだ自分に向いていることを探していき、自分を模索する旅を続けていきたいと思います。あと、たまに講演会などでも質問されるのですが、事故は良いことではありませんが、僕の場合は事故があって車いすマラソンをはじめてから、自分の人生が輝きだしたと実感しています。ですから、「今どう生きていくのか」「この先どう生きていくのか」の方が、過去に起きた出来事よりも重要だと思います。
花岡選手、インタビューありがとうございました。